「21世紀を生きる君たちへ」を読むとき

何年か前に、司馬遼太郎記念館に行った。

その時、展示されていたのが、この「21世紀を生きる君たちへ」だった。

 

一気に読めるくらいの短い、シンプルな文章だが、

僕はいたく感動し、涙が溢れてきたことを覚えている。

 

その後、事あるごとにこの文章を読み返すが、

いつも勇気づけられてきた。

 

司馬遼太郎の本をすべて読んだ訳ではなので恐縮だが、

司馬文学の一つの象徴的文章なのかもしれない、というのが僕の感想。

 

特にいいのが、

君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
・・・・自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。

 という部分。

 

ちょうど、「坂の上の雲」で、秋山好古を評して、秋山自身が「自己教育の所産」

という表現を使っていたのを覚えている。

つまり、生まれながらの「古武士」ではなく、自らを教育してそうなったと。

この部分を読むと、いつも感動し、勇気づけられる。

 

我々凡人でも、自己をトレーニングすることで、

今より良い人格を持つことができる。

それが、司馬遼太郎のメッセージではないのか。

 

なかなか自己を変えることは難しいのだけれども。。。

泣くということ

僕は、ストレスを発散するためには「泣く」ことが一番だと思っている。

しかし、「泣く」という行為は案外簡単にできない。

 

今日は泣きたいなと思って、お気に入りの音楽や映画・本などを読んでも

泣けない時が結構ある。

ストレス過多の時にそうなるのだ。

リラックスできていないのである。

副交感神経が優位になっていないのである。

 

そういう時は諦めて休息を取ることにしよう。

そして副交換神経を活発にするために。

 

そうすれば、「泣く」ことができるし、心のモヤモヤしたものを吐き出す

ことができると思う。

人生はそれの繰り返し。

正直に生きることの辛さ

正直に生きるのって、本当に辛い。

会社が不正(具体的にはここでは言えない)しているのに気付いたから、

勇気を持って指摘した。

 

そこから冷遇されている訳ではないけど、

なんだか精神的にすっきりしない。

というか、かなりメンタルやられている。

 

会社は不正を正そうとしない。

分かっているけどやめられないんだろう。

開き直って、上司からそう言われたからね。

そうは言っても、そうしないと仕事が取れないと。

 

さらに、顧客企業も不正行為があったので、

勇気を持って、その会社に指摘した。

会社は火消しに動いた。もみ消しされた。

 

僕が言っていることに誤りがあれば、反論ないし指摘すればいいのに。

そうではなく、なかったことにしようとするんだね。

 

もう疲れてしまった。

自分がいつも100%正しいとは思わないし、

世間が常に清らかでないと駄目とも思わない。

正に、「水清ければ魚棲まず」だ。

 

けどねえ、法律ぐらい守ろうよ。

堂々と違反行為するのはよそうよ。

それができないのなら、会社経営なんてやめなさいよ。

って、思う。

 

人生100年時代。

会社も自分の人生も見つめ直す時が来ているのかもしれない。

The Beatles ラバーソウル

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ラバーソウル(Rubber Soul)は、ビートルズ通算6枚目のアルバム

(イギリス公式アルバム)で、1965年12月発表。

僕は中学生の頃からビートルズを聴いているが、ラバーソウルは

その頃最初に好きになったアルバムかもしれない。

初期の「抱きしめたい」や「She loves you」等も勿論好きだったんだけども、

既に80年代後半だったためか、当時の中学生の耳には古臭くも感じたものだ。

(何周も回って、今は初期の曲がとても新鮮で素晴らしく感じる。とにかく

高揚感が凄いのだ。)

 

しかし、ラバーソウルは(というよりはラバーソウル以降は)違った。

それ以前とそれ以後で音楽性が全く違うのだ。

前作「ヘルプ」とラバーソウル。

この断絶感はなんだろう。

前者が極上のポップアルバムだとするなら、

後者は突然内省的かつ哲学的な感性を漂わせている。

彼らはまだ20代半ばだったはず。

ビートルマニアは依然として叫び続けていたが、

ビートルズはそんな世界を尻目に、俄然深みのある音楽を

創造するようになっていった。

そこに深い感動を覚える。

 

では、このアルバムからも独断的ランキングを。 

 

1位:The Word

なんでまたこんな地味な曲、と言ってはいけない

これは超名曲だ。

但し、この曲を単体で聴くと、感動は大きく減退する。

Nowhereman 〜 Think for yourself 〜 この曲

という流れで聴かないと意味をなさない。

恐らく上記3曲の流れがこのアルバムのハイライトだと思う。

このスリリングな展開がたまらない。

 

この曲を単体として見た場合、 メロディー、リズム、アレンジ、そして歌詞。

どれを取っても素晴らしい。完璧だと思う。

「愛」をテーマにした曲は、世界中に数多あれど、この曲の歌詞の世界観は

実はかなり独特で、「惚れた腫れた」のありきたりのラブソングとは一線を画す。

 

Say the word and you'll be free

その言葉を口にすれば、君だって自由になれる

Say the word and be like me

その言葉を口にすれば、君も僕のようになれる

Say the word I'm thinking of

僕の頭の中で思っている、その言葉を言ってごらん

Have you heard the word is 'love'

聞いたことあるだろ?それは「愛」

It's so fine, it's sunshine

本当に素晴らしく、まるで太陽の光が降り注ぐようだ

It's the word, 'love'

その言葉とは、まさに「愛」のことなんだ

 

ここからジョンのアイロニー溢れる歌詞がとても良い。

 

Everywhere I go, I hear it said

どこに行っても、その言葉を耳にしないことはない

In the good and bad books that I have read

いい本にも悪い本にも、その言葉が出てくるんだ

 

「愛」は確かに素晴らしいものなんだけど、

このような皮肉な表現こそが、この歌を特別なものにしている。

 

2位:Nowhere man

この曲を聴く時は、絶対に歌詞を読みながら聴かなければならない。

(この曲だけじゃないけど。。。)

恐らく「ヘルプ」以降だと思うが、ジョンの詩作にかなり変化が見られる

ようになったのがこの頃だろう。

当然ボブ・ディランの影響もあるだろうし、環境の激変つまりビートルズ

人気の凄まじさによる巨大なプレッシャーがこういった曲の背景にある。

だけど、聴く側にとっては、そんな裏事情はどうでもよい。

(よくはないけど。。。)

この歌には、人生における普遍的なテーマがあるからだ。

ある年齢に達すると誰もが経験する辛酸や絶望感が、この歌にはある。

それに喘ぎながらも、斜に構えた風にうそぶくような。

他人を軽蔑しているようでありながらも、共感もしているような。

マイナスなことを言っていながらも、自分を勇気づけるような。

 

Doesn't hava a point of view

自分の意見を持たず

Knows not where he's going to

自分が何処に向かっているかも分からない

Isn't he a bit like you and me?

だけど、ヤツは君や僕に似ていないか? 

 

ジョンの詩人としての才能はこの頃から爆発し始める。

頂点は無論ストロベリー・フィールズになる訳だが、この曲の完成度も高い。

コーラスのオーバーダビングがまた歌詞の複雑さに符合している。

 

 

最後に余談ながら。。。

ラバーソウルを語る上で、切っても切れない作品がある。

ビーチボーイズのペットサウンズである。

ブライアン・ウィルソンは、ラバーソウルを聴いて感動し、対抗する形で、

ペットサウンズを創ったと言われている。

ずっとビートルズに劣等感を感じていたのか、ブライアンの音楽的創造性が

一気に開花したのだろう。

作品同士を比較するのはとても難しいのだが、

どちらに軍配が上がるかと言えば、それはペットサウンズの方だと言わざるを得ない。

ラバーソウルは勿論名作である。

世界初のトータルアルバムだという歴史的意味合いもある。

しかし、ペットサウンズは別格だ。20世紀の音楽の中での最高傑作なのだから。

 

全曲傑作のペットサウンズに対抗できる曲が、

代表的に上記の2曲になるということである。

 

新型コロナ後の世界について、考えてみた。

今このブログを書いているのは、新型コロナウィルスが猛威を振るっている真っ只中(2020年4月下旬)であります。

世界中で、そして日本で多くの方が感染し、亡くなっています。

心よりお見舞い、そしてお悔み申し上げます。

また、医療現場や生活に欠かせない食料品を扱う店舗で働いている方々に感謝の意を表します。

 

現代を生きる私たちにとって、かつて経験したことのない脅威が目の前にあります。しかし、だからこそ新型コロナに負けず、転んでもただでは起きない気概が必要なんだと思います。新型コロナは図らずも今の社会の欠点を炙り出しました。今はそれらを変える好機と捉えるべきではないでしょうか。

 

そこで、新型コロナ終息後、変わってほしいこと、変わらないといけないこと(主に、仕事面)について、書こうと思います。

 

リモートワーク

これはいわずもがなですかね。

現状、新型コロナのせいで、半ば強制的にリモートワークになっている部分があると思います。

しかし、これは積極的に推進すべきものだと思います。(勿論、現場でしか業務ができない業種もありますが、ここではオフィス業務のことを想定しています。)

僕もこの4月から在宅勤務になりました。

気持ち的にサボったり、だらけたりするかなと思いましたが、杞憂でした。

かなり集中できます。

以下に簡単にメリットを列挙します。

・移動時間が削減できるので、その時間を他の有意義なことに使える。

・満員電車の無意味なイライラ(無用なストレス)を感じなくて済む。

疲労が必要最小限になる。

・そして何より集中できて、生産性が上がる。

最後の生産性向上が一番大きいのではないでしょうか?

実際数値化できていないので信憑性はまだ不明ですが、感覚的に生産性は向上するのではないかと期待します。職場だと外野の会話や雑音があったりして、集中力が阻害されることが多いですもんね。

 

通勤(満員)電車

先にも触れました。電車通勤。

これ、オフィスワーカーにとって、本当に要らないですね。オフィスワーカーだけでなく、企業側にもメリットがあります。

「通勤費を支払わなくていい」

これ結構大きいのではないでしょうか。

仮に、100人の従業員の会社があったとして、1人あたり月1.5万円かかった場合、月の経費150万浮きます。

他にも、必要最小限の広さのオフィスでいい、とか。いいことづくめ。

金銭的メリットだけじゃない。①にも書きましたが、通勤電車(のイライラ)がなくなることで相当程度の生産性向上が見込めるのではないか。

普段のコミュニケーションは、電話・メール・Web会議等でやればいいんです。

 

会議

会議については、これだけで一つのテーマになりそうではあります。

僕が思うに、あるべき会議の姿は

「その会議の目的を明確にして、その目的を達成するのに必要な人のみ招集し、その会議の目的を達成して終わらせること、目的を達成できない場合は、速やかに解散すること」

だと思います。単にメールで済むことや、出席者の時間だけ奪う会議は百害あって一利なしだと思います。さらに言うと、無目的な会議ほどだらだらと長い。だって、無目的だから会議を終わらせることができないですもんね。

 

新型コロナ後、リモートワークが主流になれば、会議の形は変わらざるを得ない。簡単に人を集めることができなくなるから、会議の内容が吟味される。本当に必要な会議だけが開催される。あと、おまけに無駄な会議スペースも必要なくなりますね。これもテナント料の節約になるはずだ。

 

日本人は会議が好きなんだと思う。実は僕も割と会議が好きでした。発言することで何かいっぱしの仕事をした気分にもなりますし。(ただそれは単なる気分でしかない。発言したことで何か成果が上がる訳ではない。そこを勘違いしてはいけない)

日本人の会議好きはマイナスな動機でそうなっていることが多いと思います。これについては、また別の機会で考えます。

 

日本の労働形態

戦後日本が何年もかけて構築した、日本型経営。

終身雇用、年功序列。学歴社会。新卒一括採用。 

こういったものが一夜にして変わるなんてことは勿論ないとは思います。

バブル崩壊以降、失われた30年で既に固定化されてしまった感のある非正規労働。

どう考えてもおかしいです。

これだけ変化の激しい社会になると、もはやこれらは制度疲弊しているのだと思います。

OECD加盟国の中で生産性が最下位と言われる日本。

この辺の仕組みに原因があると思う。

新型コロナ後すぐに変わることではないと思うが、この「岩盤規制」とも思われるシステムは最も変えないといけないもののはずです。

 

現状、新型コロナの収束の目途が立っていない中ではありますが、どんなに悪いことだって、コインの裏表のように良い面もあるのだし、そこにも目を向けなくてはいけないと思います。

 

終息した暁には、今の社会がより良く変わっていることを願います。